建築する建築
レクチャラ:田中卓郎
日時:2018年9月16日17:00~20:00 @ 東京大学本郷キャンパス工学部1号館3階講評室
人間は、あるいは生物は、あるいはもしかすると非生物も、それらはみなある環境において存在し、生あるものはその生を始め終え、生なきものもまたそれぞれの流転の過程を流れていく。存在はみなそれぞれの環境と絶えず交感しながら存在をする。そして、その環境は、しばしば建築と呼ばれたりする。
じゃあ、圧倒的に新規な環境を設定することによって存在に根本的な変容をもたらすことができるんじゃないか、とこう考えたのが荒川修作とマドリン・ギンズである。メニカン#11では、キャリア後期に建築を制作するに至った芸術家、荒川=ギンズについて、初期作品群から順を追って見ていくことを通じ、彼らの提出する「建築」に迫っていった。俎上に載せられたのは、木箱に存在の充溢を閉じ込めた「棺桶」に始まり、我々の知覚や言語と環境の関係を探求した図表絵画や、存在の基底的条件たる身体と環境の関わりを顕在化させる体験装置といった作品を経て、「建築する身体」という概念が生み出されていく過程である。
「建築を、場所を占める不確かな構築と考えることから開始しよう」(荒川修作・マドリン・ギンズ, 河本英夫訳『建築する身体』:110頁)と述べる彼らは、人間存在の根底的なモードとして「建築」を考えていた。荒川=ギンズにおける「建築」とは堅固な構築物を指すのではなく、環境との交感において自らと環境=世界(Umweltと読んでも構わないだろう)を構築していくダイナミクスのことであり、尽きざる潜勢力として我々の身体すなわち「建築する身体」に内在するものであった。この力を十全に発露させることを目指し、彼らは《養老天命反転地》や《三鷹天命反転住宅》を制作する。そしてそれがひとまずの終着点となった。
しかし「建築」に終わりはない。荒川=ギンズが示した一連の洞察はいまなお、過去で、そして未来で、我々を待ち続けている。
文責:田中卓郎